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札幌高等裁判所 昭和59年(ネ)33号 判決 1986年7月31日

昭和五七年(ネ)第三〇〇号事件控訴人兼昭和五九年(ネ)第三三号事件申立人

(昭和五八年(ネ)第二二九号事件附帯被控訴人、以下単に「控訴人」という。)

右代表者法務大臣

鈴木省吾

右訴訟代理人弁護士

矢吹徹雄

右指定代理人

菅原崇

外七名

昭和五七年(ネ)第三〇一号事件控訴人

(昭和五八年(ネ)第二二九号事件附帯被控訴人、以下単に「控訴人」という。)

小樽市

右代表者市長

志村和雄

右訴訟代理人弁護士

水原清之

昭和五七年(ネ)第三〇〇号、同第三〇一号事件被控訴人兼昭和五九年(ネ)第三三号事件被申立人

(昭和五八年(ネ)第二二九号事件附帯控訴人、以下単に「被控訴人」という。)

大橋段

右法定代理人親権者父

大橋達

同母

大橋静子

昭和五七年(ネ)第三〇〇号、同第三〇一号事件被控訴人兼昭和五九年(ネ)第三三号事件被申立人

(昭和五八年(ネ)第二二九号事件附帯控訴人、以下単に「被控訴人」という。)

大橋達

大橋静子

右被控訴人ら訴訟代理人弁護士

大島治一郎

高野国雄

入江五郎

主文

一  原判決中控訴人らの敗訴部分を取り消す。

二  被控訴人らの控訴人国に対する主位的請求及び控訴人小樽市に対する請求をいずれも棄却する。

三  被控訴人らの本件附帯控訴(当審新請求を含む。)をいずれも棄却する。

四  被控訴人らはそれぞれ控訴人国に対し、別表(一)の各被控訴人欄中の合計欄記載の各金員及びこれに対する昭和五七年一〇月二七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

五  被控訴人らの控訴人国に対する予備的請求に関する訴えをいずれも却下する。

六  訴訟費用(当審新請求分を含む。)は第一、二審(附帯控訴及び昭和五九年(ネ)第三三号事件分を含む。)とも被控訴人らの負担とする。

七  この判決は、主文第四項に限り仮に執行することができる。

事実

一申立て

1  控訴人らは、主文第一ないし第三項及び第六項と同旨の判決を求め、仮に被控訴人らの請求が認められ、仮執行の宣言が付されるときは担保を条件とする仮執行の免脱の宣言を求め、更に控訴人国は主文第四、五項と同旨及び被控訴人らの予備的請求をいずれも棄却するとの判決並びに主文第四項につき仮執行の宣言を求めた。

2  被控訴人らは、控訴人国に対する主位的請求及び控訴人小樽市に対する請求につき「控訴人らの本件各控訴を棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする。」との判決を求め、附帯控訴として、「原判決中被控訴人らの敗訴部分を取り消す。控訴人らは各自、被控訴人大橋段に対し更に金四九四八万六〇〇〇円並びに金八〇九六万九〇〇〇円に対する昭和四三年四月九日から昭和四五年六月二二日まで、金四九四八万六〇〇〇円に対する昭和四五年六月二三日から支払ずみまで各年五分の割合による金員(右のうち、金二七八三万八〇〇〇円及びこれに対する昭和四五年六月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を超える部分は当審において拡張された新請求)、被控訴人大橋達及び同静子に対し更に各金二一八万六〇〇〇円並びに各金三五〇万円に対する昭和四三年四月九日から昭和四五年六月二二日まで、各金二一八万六〇〇〇円に対する昭和四五年六月二三日から支払ずみまで各年五分の割合による金員(右のうち、各金一六八万六〇〇〇円及びこれに対する昭和四五年六月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を超える部分は当審において拡張された新請求)を支払え。訴訟費用(附帯控訴分を含む。)は第一、二審とも控訴人らの負担とする。」との判決を求め、控訴人国の民訴法一九八条二項の規定に基づく申立てに対し、申立て却下の判決を求め、控訴人国に対する予備的請求(当審新請求)として、「控訴人国は、被控訴人大橋段に対し金八〇九六万九〇〇〇円、被控訴人大橋達及び同静子に対し各金三五〇万円並びに右各金員に対する昭和四三年四月九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。」との判決を求めた。

二当事者の主張及び証拠の関係は、次のとおり付加、訂正、削除するほかは、原判決事実摘示における当事者の主張並びに本件記録中の原・当審における書証目録及び証人等目録の記載と同一であるから、これを引用する。

1  原判決八ページ一二行目の「セ氏」を「摂氏」と改め、同一〇ページ八行目の「(その一)」の次に「(主位的請求)」を加え、同一一ページ末行の次に、改行して以下のとおり加える。

「実施規則四条の禁忌に該当する場合とは、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な場合をも含むものであり、昭和三四年一月二一日衛発第三二号各都道府県知事あて厚生省公衆衛生局長通達「予防接種の実施方法について」の別紙「予防接種実施要領」(以下「実施要領」という。)の第一の九項三号は、予防接種実施の具体的基準として、「予診の結果異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者に対しては、原則として、当日は予防接種を行わず、必要がある場合は精密検診を受けるように指示すること」と明示し、禁忌該当判定困難な者に対する接種回避義務を定めている。

また、種痘を実施する医師は、予診を通じて実施規則四条所定の禁忌者に該当することを疑うに足りる相当な事由を把握した場合にも、当日は種痘を回避すべき義務があつた。」

2  同一二ページ五行目及び同一三ページ六行目の各「禁忌者」の次に「又は前記禁忌該当判定困難な者若しくは前記禁忌者に該当することを疑うに足りる相当な事由がある場合」をそれぞれ加え、同一三ページ一、二行目の「掲示はなされておらず、」の次に「仮に右掲示がなされていたとしても、被控訴人静子はこれに気付かなかつたのであり、」を加え、同一一行目の「(その二)」の次に「(主位的請求)」を加える。

3  同一九ページ一行目から八行目までを削る(当審において主張を撤回)(一の5は欠番とする。)。

4  同二五ページ九行目の「金三八一六万九〇〇〇円」を「金二九六一万八〇〇〇円」と、同一一、一二行目の「金三四〇万八八〇〇円〔昭和五五年」を「金三九二万三三〇〇円〔昭和五八年」とそれぞれ改め、同二六ページ五行目の「現価」から同二七ページ一行目までを次のとおり改める。

「本件事故当時における現価を算定すると金二九六一万八〇〇〇円(ただし、一〇〇〇円未満切捨て)となる。

3,923,300円×(19.2390−11.6895)=29,618,953円

5  同二七ページ二行目の「金一一一五万二〇〇〇円」を「金二二三五万一〇〇〇円」と、同四行目の「(平均余命と同じ七三年間)」を「〔被控訴人段と同年齢(一八歳)の男子の平均余命は五七・一五年(昭和五八年簡易生命表)であるから七四年間〕」と、同五、六行目の「金三六万円(一日当たり約一〇〇〇円)」及び同八行目の「金三六万円」をいずれも「金一二〇万円」と改め、同九行目の「また」から同二八ページ二行目までを次のとおり改める。

「ライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して右期間の付添介護料相当額の本件事故当時における現価(ライプニッツ係数は一九・四五九二である。)を算定すると、左記のとおり金二三三五万一〇〇〇円(ただし、一〇〇〇円未満切捨て)となる。

1,200,000円×19.4592=23,351,040円

6  同二八ページ三行目及び六行目の各「金一〇〇〇万円」を「金二〇〇〇万円」と改め、同六行目の次に改行して「(4) 弁護士費用   金八〇〇万円」を加え、同八行目の「慰謝料」の前に「(1)」を、同末行の次に改行して「(2) 弁護士費用   各金五〇万円」をそれぞれ加え、同二九ページ一行目を削り、同二行目の「よつて」の前に「11」を加え、同二、三行目の「金五九三二万一〇〇〇円(前記のとおり一部請求である。)」を「金八〇九六万九〇〇〇円」と、同五行目の「金三〇〇万円」を「金三五〇万円」と、同六行目の「昭和四五年六月二三日」を「昭和四三年四月九日」とそれぞれ改める。

7  同二九ページ八行目の次に、改行して以下のとおり加える。

「12 控訴人国の責任(その三)(当審において追加的、予備的に併合申立て)

(一)  憲法二九条三項の規定に基づく損失補償請求

(1) 予防接種法三条は、何人に対しても同法に定める予防接種を受け、又は受けさせる義務を課し、これに違反した場合には同法二六条により刑事罰を科することとしていた。本件の種痘も右義務の履行として行われた。法が予防接種を国民に強制しているのは、伝染の虞がある疾病の発生及びまん延を予防し、公衆衛生の向上と増進に寄与することを目的としたものであつて、集団防衛、社会防衛のためである。

(2) 控訴人国による法律上の強制により、被控訴人段は本件種痘を受けたものであるが、その結果惹起された被控訴人段の重篤な本件後遺障害は受忍の限度を超えた特別犠牲であり、控訴人国は憲法二九条三項の規定によりこれに対する正当な補償をすべき義務を負うものである。

すなわち、憲法二九条三項は、直接には財産権の収用ないし制限に関する規定であるが、憲法一三条の国民の生命、自由、幸福追求権の尊重規定、憲法二五条の国の生存権保障義務規定に照らせば、憲法二九条三項の解釈適用にあたり、社会公共のための財産権の侵害については補償するが、同じく社会公共のためになされた生命、健康の侵害については補償しないとすることは到底許されない。

そもそも、特別犠牲に対する損失は、特定人に対し、公益上の必要に基づき特別異常なる犠牲を加え、しかも、それがその者の責めに帰すべき事由に基づかないものである場合には、正義公平の見地から、全体の負担においてその私人の損失を調整する制度である。ところで、予防接種は、伝染病から社会を集団的に防衛するためになされるものであるが、不可避的に被接種者に死又は重篤な身体障害を生ぜしめる副反応を起こさせることがあり、控訴人国はその事実を知悉しながら、右犠牲の発生よりも伝染病に対する社会、集団防衛の利益を優先させるという政策判断を行い、法による強制によつて予防接種を実施し、その結果として、予測されたとおり被控訴人段に重篤な身体障害をもたらした。

伝染病の発生又はまん延防止という社会公共の利益のために犠牲となつた被控訴人段に対し、その犠牲によつて利益を受けた大多数の者が負担を分担することは、共同社会の基本理念である公平の原則に合致するものである。その分担すべき犠牲は財産的犠牲に限定されるとすべき合理的根拠は全く存しない。むしろ、人生最大の悲劇である生命と健康の犠牲に対してこそ将に補償すべきである。

更に、生命、身体に対する被害は同時に著しい財産的損失を伴うから、生命、身体と財産が次元を異にするとして前者に対する補償義務を否定することは許されないものである。

(3) 以上により、控訴人国は、憲法二九条三項の規定に基づき、被控訴人らが被つた本件損失について正当な補償をすべき義務を負つている。

(二)  憲法二五条一項の規定に基づく損失補償請求

仮に右(一)の主張が認められないとしても、憲法二五条は、「すべて国民は健康……な生活を営む権利を有する」と規定する。この規定が国民の生命、身体及び健康に対する権利を保障していることは明らかである。

予防接種には一定の割合で副反応が生ずることが避けられないという状況下で、控訴人国は伝染病の予防という公共の福祉のため種痘を強制し、国民の側からは副反応事故を完全に防止する途がなく、これがいつ誰に発生するか一般に予見しようもないものであり、一旦事故が発生すると、その結果は本人のみならずその家族にも悲惨な状態をもたらし、現在の医学ではこれを救うことができない。このような状況を憲法が放置しているとみることは到底できないものであつて、財産権の収用の場合には憲法二九条三項によつて直接補償を求める途があるとされていることとの対比からも、生命、身体を財産より軽視すべき理由はなく、予防接種による副反応事故によつて被害ないし損害を受けた者は、国民に健康な生活を営む権利を保障した憲法二五条一項の規定によつて、控訴人国に対し、直接補償を求めることができる。

(三)  正当な補償について

憲法上の損失補償責任は正当な補償をなすべき責任である。正当な補償とは、損失を被つたものの全損害(損害賠償請求の損害額と同額)の補償である。

本件では、事故発生後に至つて初めて控訴人国は予防接種被害についての救済制度を設けたが、この制度による補償額は損害額と比較して極めて低額であり、客観的妥当性を欠き、正当な補償とはいえない。

被控訴人らは、救済制度による補償があるとしても、なお損害額との差額について、正当な補償を請求する権利を有する。

(四)  よつて、控訴人国に対し、前記11と同額の金員の支払を求める。

(五)  被控訴人らは控訴人国の損失補償責任の根拠を憲法二九条三項に求めるものであるが、これが公法上の法律関係に関するもので、行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)四条後段の実質的当事者訴訟として、同法による審理の対象となり、本件民事訴訟と併合することはできないのではないかが問題である。

そこで「公法上の法律関係」の点について考察すると、被控訴人らが本件で請求している訴訟物は、身体への侵害に対する損失(損害)の填補を求めるものであつて、その請求額も本件損害賠償請求における損害額と同一であり、主張、立証の対象たる基礎事実も、控訴人国の公務員の故意、過失の点を除き、控訴人国が実施した種痘接種による身体被害の発生という単一の事象である。要するに、本件損失補償請求とは、違法、無過失の公権力行使に基づく損失填補請求である。かかる法分野は、公法、私法の交錯する新たな法分野ないし伝統的な概念による公法、私法が接する限界上の法領域であり、その法律関係をあえていずれかに截然と区別することは不可能であり、その意味にも乏しい。

損失補償請求権は、一般的にいつて、公法上の権利であり、通常は「実質的当事者訴訟」として処理され、そのうち特に特定の手続を経て補償決定がなされるとき、その行政決定を争う訴訟は実質的には抗告訴訟の性質を持つが、被告が法定化されているがゆえに「形式的当事者訴訟」として処理されているにすぎないというのがこれまでの一般の所説である。しかし、損失補償請求権一般が公法上の権利であるという論証はなされておらず、行訴法に「当事者訴訟」という訴訟類型を定めてしまつたという既成事実の上に立つて、損失補償請求権は公法上の請求権であるといつているにすぎない。

従来、損失補償請求権は、特別の規定がなければ発生しないと解されてきたが、最高裁昭和四三年一一月二七日大法廷判決(刑集二二巻一二号一四〇二ページ)が、「損失補償に関する規定がないからといつて、同条(河川附近地制限令四条)があらゆる場合について一切の損失補償を全く否定する趣旨とまでは解され」ないと述べ、「別途、直接憲法二九条三項を根拠にして、補償請求をする余地が全くないわけではない」と判示し、続いて、東京高裁昭和四四年三月七日判決(高民集二二巻一号一八一ページ)が、「憲法二九条三項に……規定するのは、いわゆるプログラム規定ではなく、もし使用許可の取消により、財産上の犠牲が一般的に当然に受忍すべき制限の範囲をこえ、特別の犠牲を課したものとみられる場合には、直接憲法二九条三項を根拠に補償の請求をすることができるものと解するのが相当である。」と判示し、以来、補償請求権は、特定の制定法の請求要件の規定をまつて発生するものではなく、憲法上の規定を根拠としてもこれを行使しうるというのが最近の判例、学説の傾向である。

基本的人権の規定を空文化せぬことを前提とするならば、正当な理由なく人権を奪うことはできず、そこに適法行為による場合にも補償請求権が原則として発生する。公用収用の補償も、この前提の上に立つ特殊的な一表現形態にすぎない。そして、損失補償請求権は、特定の法律の補償規定の存在をまつて発生するものと観念する必要もなく、また、これを公法上の請求権と観念する根拠もなくなる。

被控訴人らが本訴で請求する損害賠償請求権も損失補償請求権も、その目的は損害の填補あるいは被害の救済であり、立証命題も損害賠償請求における場合と実質的には完全に同一である。両者の要件、効果の相違は著しく小さくなつているのが現状である。

よつて、仮に本件損失補償請求が講学上の損失補償請求であり、実質的当事者訴訟に該当するとしても、行政事件訴訟手続でその審理等に関しては民事訴訟手続が準用され(行訴法七条)、行政庁の訴訟参加(同法二三条)、職権証拠調(同法二四条)、判決の拘束力(同法三三条)は、関係行政庁が厚生大臣のみであり、処分の効力が当初から問題とされておらず、しかも請求の態様としては単純な金銭の給付請求である本件では、いずれも考慮の必要はない。また、同法の手続によらないことによつて、控訴人国の応訴等の利益が害されることもない。

そして、単純な金銭の給付請求である損失補償請求は、これが実質的当事者訴訟であるとしても、損害賠償請求と密接な関連性を有するものであり、かかる場合は、行訴法一六条一項の準用により、当初係属している民事訴訟に実質的当事者訴訟たる行政訴訟を併合することも許されるものと解すべきであり、本件損失補償請求を民事訴訟手続に併合審理することは何ら不適法ではない。

被控訴人らとしては、本件各損失補償請求につき、あくまでも当審において審理判断を求めるものであつて、仮に併合審理が認められないとしても、本件各損失補償請求をあえて第一審管轄裁判所に移送を求めるものではない。」

8  同三二ページ七行目の次に、改行して以下のとおり加える。

「被控訴人段に知能障害が生じた原因のひとつとしては、出生時の障害が考えられる。すなわち、被控訴人段は、昭和四二年一〇月六日出生したが、その出生は骨盤位牽出で、分娩所要時間は約八時間であつた。この八時間という時間は、通常に比べて若干長めであり、また骨盤位というのは、通常に比べて障害を受ける確率が高いものであつて、被控訴人段の知能障害は、出生時の脳障害に起因するとも考えられる。

被控訴人段に知能障害が生じた原因としては、更に、同人の下半身麻痺から生活環境が閉鎖的となつたことが考えられ、このことは被控訴人段が「自閉症に似たような状態」であることによつてもうかがわれる。

被控訴人段の運動障害が仮に弛緩性麻痺だとした場合、弛緩性麻痺をもたらすことが顕著な伝染病としてポリオがあり、被控訴人段の弛緩性麻痺はポリオによるとも考えられる。すなわち、市立小樽病院での血清学的検査の結果、被控訴人段はポリオワクチンを接種していないにもかかわらず、ポリオ3型の抗体価が三二倍の高い値を示しており、ポリオウイルスによる感染は一応否定されたと見るのは適当でなく、再度検査をすれば、ポリオ感染が証明できた可能性がある。そうであれば、被控訴人段の下半身麻痺の発症について、ポリオ感染起因性を否定できないというべきである。」

9  同三四ページ一行目の次に、改行して以下のとおり加える。

「実施規則四条は、本文において予防接種の禁忌事項を定めるとともに、禁忌に該当すると認められる場合には、その者に対し予防接種を行つてはならない旨規定し、ただし書において、被接種者が禁忌に該当する場合であつても、一定の場合には接種が可能な場合を想定している。同条は、被接種者を禁忌に該当する者とそうでない者とに分類しているのみで、禁忌に該当するか否か分らない者の存在を考えていない。一方、実施要領第一の九項三号は、予診の結果異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者という範ちゆうを設定し、右のような者に対しては、原則として予防接種を行わないとしているが、右「禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」か否かの判断については、医師の専門家としての判断に委ねていると解するのが相当であり、無理に禁忌に該当するかどうかの判断をしないで接種を中止してもかまわない旨を定めているのであつて、回避義務を定めたものではない。そうであれば、裁判の場において、接種医師の過失として問題としうるのは、禁忌に該当することを不注意で気付かずに禁忌に該当する者に接種したか否かのみであり、判定の困難な者に接種したか否かは問題としえないと解するのが相当である。すなわち、「判定の困難な者」は、客観的には「禁忌者」と「そうでない者」とに分けられ、「そうでない者」に対する接種は義務違反の問題を生ぜしめず、「禁忌者」に対する接種は結局は「禁忌に該当することを不注意で気付かずに禁忌に該当する者に接種した」か否かの問題に帰着するからである。なお、実施要領第一の九項四号は、被接種者が禁忌に該当する場合、同人に対しても予防接種をすべきと判定する場合の利益衡量について規定しているのであつて、右規定は実施要領第一の九項三号を受けているのではなく、実施規則四条ただし書の規定を受けるものであることは、規定の趣旨、文言から明白であり、予診の結果異常が認められた者に対し予防接種を実施するか否かを決定する際には比較衡量が期待されるとはいいえない。被控訴人らは、予診を通じて禁忌者に該当することを疑うに足りる相当な事由を把握した場合にも予防接種を回避すべき義務があると主張するが、右主張は、以上述べたとおり、実施規則及び実施要領の解釈につき明白な誤りがある。」

10  同三五ページ一行目及び同七行目の各「迎いで」を「仰いで」と、同三七ページ八行目の「セ氏」を「摂氏」とそれぞれ改め、同三八ページ三行目の次に、改行して以下のとおり加える。

「仮に、被控訴人静子が、被控訴人段は感冒で四月三日から同月五日まで医師の診療を受け、同月六日以降は熱がないことを告げても、当日被控訴人段には特段の症状はなかつたのであるから、接種を受けることになつたと考えられる。したがつて、問診方法に適切でない面があつたとしても、被控訴人段は禁忌者にあたらないから、結局種痘を実施することとなるので、本件後遺障害との間に因果関係はない。

原審被告小川(以下「小川」という。)に過失ありとして、発生した結果についての責任を問いうるためには、小川に結果発生についての予見可能性がなければならない。すなわち、結果発生を認識しながらあえて、あるいは認識すべきであるのに不注意によつてこれを認識しないまま行為をなし、結果を発生させたことが損害賠償義務の発生の根拠だからである。そして、結果発生についての予見可能性があると認めるためには、禁忌に該当しない者に例えば種痘をしても脳炎は全く発生せず、禁忌に該当する者に種痘をすると特異的に脳炎が起こるといいえなければならない。そして、右のようにいえるためには、種痘後脳炎の発生機序が明らかとなつており、かつ、禁忌事項が種痘後脳炎の発生を完全に回避するために有効なものとして定められていることが必要である。しかし、種痘後脳炎の発生機序は全く判明していないものであるから、その発生を完全に回避するための禁忌事項を定めることもできないはずである。しかし、他方において、実施規則四条は一号ないし六号をもつて禁忌事項を規定している(このうち、一号ないし四号はすべての予防接種に共通のものである。)ので、これらが何故に禁忌と定められたかを次に検討する。

予防接種のワクチンは、感染症予防の目的で免疫抗体を産生させるために用いられるものである。この免疫抗体の産生過程において、軽度の接種部位の局所反応や軽度の発熱程度の反応は起こりうるものである。通常よく見られるものとしては、例えば種痘、B・C・Gにおける接種部位の皮膚反応や、百日咳(旧ワクチン)や麻疹における軽度かつ一過性の発熱等がある。これらは、予防接種健康被害者救済制度の医療費支給の対象にならない程度のものであり、問題になるのは次に述べる異常に強い副反応である。

接種後の異常に強い副反応いわゆる予防接種事故といわれるものには、ワクチンそのものの副反応と、偶然に予防接種と時を同じくして発病し、あるいは発見された疾病とが含まれており、予防接種事故の病態は、次のように分類することができる。

(1)  ワクチンの直接作用による反応(真のワクチンの副反応)

これには、ワクチンにごくわずかながら残つている毒性や病原性に基づく特異的な副反応(例えば、ポリオ接種後にワクチン株によつて起こる四肢の麻痺等)、被接種者のアレルギー(種痘による皮膚合併症、インフルエンザの場合の鶏卵アレルギー、ジフテリアトキソイドに対するアレルギー等)や先天的免疫産生異常による反応(無又は低ガンマグロブリン血症者に対する生ワクチン接種)などがある。

(2)  潜在疾患の顕在化

これは、たまたま予防接種をしたところ、もともとある疾病がそれを契機に発病したものである。例えば、脳に萎縮や石灰化があつたものの、いまだけいれんの既往がなかつたが、予防接種によつて発熱し、熱性けいれんを起こし、その後典型的なてんかんの発作が出現するに至つた場合である。

(3)  既存疾患の悪化

これは、もともとあつた疾病が予防接種を契機に悪化した場合である。例えば、肺炎などの急性疾患に罹患している者に予防接種をした場合、予防接種の反応のため体力が落ち、既存疾患が悪化することがある。したがつて、一般的には急性疾患に罹患中の者については予防接種を回避すべきであるが、活動期や急性期でない慢性疾患の患者については、自然感染による症状、合併症、後遺症が重くなり、既存の疾患を悪化させる危険があるので、医師が予防接種を必要と認めたときは、むしろ積極的に接種を実施すべきであるとさえいわれている。

(4)  従前から罹患していた病気が偶然発見された場合

これは、予防接種とは全く因果関係がないが、実際にはもともとあつたか否かの判定が困難な場合が大部分である。例えば、出生時からもともと脳性麻痺のあつた子供(軽度の場合、乳児期においては親が気付かないことがある。)に種痘をしたところ発熱し、医師の診療を受けて脳性麻痺と指摘される場合である。特に、熱性けいれんを起こした場合などには、接種以前から罹患していたかの判定は困難となる。

(5)  予防接種と前後して全く偶然に他の疾病に罹患した場合

予防接種と相前後してある疾病に罹患し、予防接種後に発病した場合には、予防接種の副反応として疑われる場合がある。例えば、麻疹ワクチン接種後に麻疹の症状が出てきた場合、口腔内粘膜にコプリック斑が出現していれば、それは自然感染の場合にのみ出現することから、接種当時既に自然感染し、その潜伏期に入つていたと考えることができる。しかし、このように偶発的に罹患した疾病の存在が確認されることは極めてまれで、大半は、発熱、脳炎、脳症等が生じた時にも病原体や血清抗体価上昇等は見つからず、副反応ではないかと疑われるのが通常である。特に零歳児の場合、急性神経系疾患が一〇万人あたり三〇〇・九人も見られるが、これらは、予防接種と全く関係がないにもかかわらず、予防接種後一定の期間内に発病すると、予防接種の副反応と疑われることがある。

予防接種事故の態様は前述のとおりであるが、右(1)が予防接種と因果関係が肯定され、右(2)ないし(5)は否定されるべきケースである。ところで、右(1)のような明らかに因果関係のある場合でも、将来起こるべき副反応を事前に予測することは現在の医学上不可能である。したがつて、実施規則四条に規定する禁忌事項も、将来起こるべき副反応を事前に予測し、これを排除することを目的としていない。

次に、実施規則四条が禁忌と定めている事項について、その制定の趣旨を本件と関係のある限度で検討することとする。

(1)  有熱患者

有熱患者については、予防接種の副反応として発熱した場合、更に発熱の程度が高くなるということも考えられるが、むしろ、一般に有熱者は予期しえない疾患の前駆症状である場合もあることから、偶発的疾患の混入を防ぐという理由で禁忌とされているものである。

(2)  心臓血管系、腎臓又は肝臓に疾患のある者、糖尿病患者、脚気患者その他医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者

これは、予防接種によつて原疾患を悪化させるおそれがあるという理由から設けられたものである。

(3)  病後衰弱者又は著しい栄養障害者

著しい栄養障害者は、一般に血清タンパク量が低く、ワクチンを接種しても十分な抗体(抗体はタンパク質によつて作られる。)を産生せず、そのためワクチン接種が無効になることがあり、また、種々の感染症を起こしやすいことから禁忌とされているものであり、これは視診によつて容易に判断可能であり、現在の我が国では、何らかの基礎疾患のある者以外にはまず見られないとされている。

本件において関連があり、かつ、問題となりうる可能性のある禁忌事項が設けられた趣旨は以上のとおりであるところ、右禁忌事項は、いずれも偶発疾患の混入、既存疾患の増悪、潜在疾患の顕性化、予防接種の無効化を防ぐためである。したがつて、仮にこれらの禁忌を看過したとしても、それが必ずしも「真のワクチンの副反応」発生に結びつくとはいえない。しかも、特に副反応が起こりやすいとされる禁忌事項(例えばアレルギー体質)を看過したとしても、それが特異的に脳炎、脳症等の中枢神経系の障害を惹起するとは一般に認められていないので、それらの重篤な副反応の発生を完全に予見することは不可能であり、結局、予診の意義は、主に既存疾患の発見による紛れ込み事故の防止にあるといつてよく、将来起こるべき副反応の事前チェックではないというべきである(もつとも、アレルギー体質、先天的免疫異常の発見は、結果的に副反応防止の効用を果たしているといえよう。)。

したがつて、接種医師が被接種者の健康状態を予診することによつて、種痘後脳炎の発生を予見しうることはないといつてよい。」

11  同三八ページ七、八行目の「昭和二五年、六年」を「昭和二五、六年」と改め、同四三ページ一二行目から同四四ページ六行目までを削り、同四六ページ一二行目の「予防接種実施要領」を「実施要領」と改め、同四七ページ二行目の次に「控訴人小樽市の主張は、控訴人国の主張(原判決三四ページ二行目から三八ページ三行目まで及び前記9、10において付加、訂正した部分)と同一である。」を、同四九ページ六行目の「同10の事実」の次に「のうち、昭和五八年簡易生命表による一八歳男子の平均余命が五七・一五年であることは認め、その余」をそれぞれ加える。

12  同四九ページ七行目の次に、改行して以下のとおり加える。

「12 同12控訴人国の責任(その三)について

(一)  本案前の主張

被控訴人らは、昭和六一年一月二七日付け準備書面において、責任原因の追加主張という形で、本件予防接種による被害について、憲法二九条三項の規定に基づき、控訴人国は被控訴人らに対し損失補償をすべき責任があると主張するに至つた。

ところで、本件訴訟における被控訴人らの従来の請求は、国家賠償法一条一項の規定に基づく損害賠償請求であるところ、右追加主張によれば、本件予防接種による被害が憲法二九条三項の適用をめぐつて講学上いわれている特別犠牲にあたるとして、直接右条項を根拠に損失補償請求をするものであるから、審判の対象たる訴訟物が前者と後者とで異なることは明らかであり、したがつて、右追加的主張の実質は、訴えの追加的変更の申立てにほかならない。

しかるところ、先行する前者の請求が民訴法によつて律せられる民事訴訟であることは多言を要しないから、本件訴えの追加的変更が許されるためには、同法二三二条所定の訴えの変更の要件のほかに同法二二七条所定の訴えの客観的併合の要件をも充足しなければならない。

これを本件についてみるに、一般に現行法上の財産権をめぐる損失補償の確定手続については、①補償額についての行政主体の「決定」、監督行政庁の「裁定」又は収用委員会の「裁決」を経由した上、それに不服のあるときは事業主体と被収用者又は損失を受けた者(補償の当事者)との間で訴訟を提起できるものとされている場合、②法律上、一定の場合に損失補償請求をすることができることのみを規定して、損失補償額の確定手続については何らの定めもない場合があるが、前者の典型例である土地収用法一三三条一項に基づく損失補償に関する訴えを始めとして、前者の訴訟類型が行訴法四条前段の形式的当事者訴訟に該当し、一方、例えば消防法二九条、水防法二一条、森林法三五条に基づく場合など、後者の訴訟類型は行訴法四条後段にいう公法上の法律関係に関する訴訟、すなわち、実質的当事者訴訟に該当することは、判例のみならず、学説上もほとんど異論がないといえる。

そして、財産権の収用法令が補償規定を欠いている場合、最高裁昭和四三年一一月二七日大法廷判決(刑集二二巻一二号一四〇二ページ)、同昭和五〇年三月一三日第一小法廷判決(裁判集民事一一四号三四三ページ)、同年四月一一日第二小法廷判決(裁判集民事一一四号五一九ページ)は、直接憲法二九条三項を根拠に損失補償請求をする余地がないではない旨を判示し、学説の上でも、右各判例をよりどころにして憲法二九条三項の規定に基づく損失補償請求を肯定する説があるが、その場合、右損失補償請求訴訟が公法上の法律関係に関する訴訟として実質的当事者訴訟に該当することは以上述べたところから明らかであろう。

ところで、本件の場合、被控訴人らは、財産権の収用の場合には直接憲法二九条三項の規定を根拠に損失補償請求ができるとする右肯定説に立脚して、本件予防接種禍は生命、健康に対する特別犠牲であるから、財産権に対する特別犠牲の場合と同様に右条項に基づき損失補償をすべきであると主張するものであるから、本件訴えの追加的変更により追加された損失補償請求訴訟は、行訴法四条後段に該当する実質的当事者訴訟であるといわなければならない。

そうすると、本件追加訴訟は行政訴訟であり、これに対し、本件において先行していた損害賠償請求訴訟は民事訴訟であるから、両者は訴訟手続を異にし、したがつて、民訴法二二七条所定の訴えの客観的併合の要件を欠くものというべく、民訴法の手続に則る限り、本件訴えの追加的変更の申立ては不適法である。

仮に、従前の損害賠償請求訴訟が本件追加訴訟の関連請求(行訴法四一条二項、一九条二項、一項前段、一三条)であるとしても、同法一九条一項は、「原告は、取消訴訟の口頭弁論の終結に至るまで、関連請求に係る訴えをこれに併合して提起することができる。」旨を、また、同条二項は、その場合に民訴法二三二条の規定の例によることができる旨を、それぞれ規定しており、右文言自体からも明らかなように、行政訴訟以外の請求に当事者訴訟を追加的に変更することは認められないから、右の結論は変らないのである。

以上の次第で、本件訴えの追加的変更の申立ては、不適法であるから許されるべきではない。

(二)  本案について

(1) 憲法二九条における三項の位置付けをみると、同条一項は、個々の国民に対しその財産権に対する国家の侵害からの自由権を保障するとともに、経済制度の基礎秩序として私有財産制を制度的に保障しているものであり、同条二項は、同条一項が私有財産制を制度的に保障していることを前提とした上、その制約として、公共の福祉の見地から、「財産権の内容」を定めることを法律に委ねたものである。そして、同条三項は、公共の利益のため私有財産について同条二項によつて許される内在的制約の域を超えて剥奪、制限等をする必要がある場合に、これを適法になしうる道を開くとともに、その場合には当該財産権を価値的に保障する意味で正当な補償をなすべきものとしているものであつて、同条全体としてみれば、我が国における国家存立の基礎である経済秩序について調和のとれた私有財産制度の在り方を規定しているものにほかならない。

このような憲法二九条三項の位置付けないし趣旨、目的にかんがみれば、そもそも生命、身体被害の場合に同条の中から同条三項のみを取り出してこれを類推適用し、生命、身体被害に対する損失補償の道を開こうとする発想そのものが極めて問題であつて、批判を免れない。

また、生命、身体に対する侵害は、公益の名の下であつても許されないから、もし生命、身体に対して、財産権の場合に損失補償が必要とされる特別の犠牲と同じ意味での特別の犠牲を課するとすれば、それは違憲、違法な行為であるとして国家賠償法一条一項の規定に基づく損害賠償の法理で解決されるべきであつて、もともと、財産権に対する特別の犠牲と生命、身体に対する特別の犠牲とを価値的に比較評価して、後者についても損失補償法理で解決しようとすること自体、法理論上根本的な誤りを犯すものである。

(2) 本件予防接種禍が財産権に係る損失補償請求権の要件の中核をなす特別の犠牲と同じ意味で生命、身体に対する特別の犠牲にあたるか否かを検討するに、本件予防接種は、特定人又は特定の範ちゆうに属する人を対象としているものではなく、広く国民一般を対象としているものであり、国民すべてが等しく接種を受けるものである。したがつて、ごく稀にではあるが一定の確率で発生する予防接種に伴う重篤な副反応の可能性を仮に予防接種による危険性と呼ぶならば、国民一般が社会防衛、集団防衛の観点から等しくその危険性を負担するものであり、重篤な副反応が発生した者のみがその危険性を負つているものではなく、他方、予防接種によつて社会防衛、集団防衛が図られるということは、社会、集団を構成する個々人が等しく伝染病の危険性から免れるという利益を享受することにほかならない。このように、本件予防接種禍の場合、侵害行為の態様においては何ら特別性がなく、この点において、財産権についていわれている特別の犠牲と重大な相違が存する。次に、予防接種という侵害行為は、その本来の性質上当然に生命、身体に対して重大な損傷を与えるというような強度なものではなく、したがつてまた、予防接種による重篤な副反応の発現という結果は、決して意図的、目的的なものではない。この点において、本件予防接種禍は、損失補償が必要とされる場合の典型で、意図的、目的的侵害行為を特徴とする収用概念とは完全にかい離しているといわなければならない。

以上によれば、本件予防接種禍が財産権に係る損失補償請求権の要件の中核をなす特別の犠牲と同じ意味で生命、身体に対する特別の犠牲にあたるとするには法理論上多大の疑問があつて、これを否定せざるをえない。

仮に、憲法二九条三項が生命、身体被害の場合にも類推適用され、本件予防接種禍が生命、身体に対する特別の犠牲にあたるとする見解を採つたとしても、本件予防接種禍の場合の正当な補償について、その意義、内容、算定方法を司法の場において法的安定性を確保するに足りるだけの一義的明確性をもつて認定判断することは法理論上著しく困難といわなければならず、結局、直接憲法の右条項に基づく損失補償請求権の要件及び効果の観点からみても、本件予防接種禍について憲法二九条三項を類推適用することは著しく困難であり、法理論上否定されるべきであるといわざるをえない。

(3) 被控訴人段については、小樽市長が昭和五二年一一月二五日予防接種法(昭和五一年法律第六九号による改正後のもの)による救済制度に基づく障害者養育年金の給付をなす旨の予防接種被害者健康手帳を被控訴人段に交付し、更に、同市長が昭和六〇年一二月一六日、同制度に基づく障害年金の給付をなす旨の同手帳を被控訴人静子に交付し、各支給決定をしたものである。これに基づきそれぞれ所定の給付が支給されている。

しかるに、被控訴人らは、右支給決定に基づく給付内容は不服であるとしながら、これに対する抗告訴訟で争うことなく、直接憲法二九条三項の規定に基づき損失補償請求をするものであるから、本件損失補償請求は、右各支給決定の公定力に抵触して許されず、失当というべきである。

(4) 憲法二五条一項は、いわゆる福祉国家の理念に基づき、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営みうるよう国政を運営すべきことを国の責務として宣言したものであり、同条二項も、同じく福祉国家の理念に基づき、社会的立法及び社会的施設の創造拡充に努力すべきことを国の責務として宣言したものであつて、同条一項は、国が個々の国民に対して具体的、現実的に右のような義務を有することを規定したものではなく、同条二項によつて国の責務とされている社会的立法及び社会的施設の創造拡充により個々の国民の具体的、現実的な生活権が設定充実されてゆくものと解すべきものであり、したがつて、同条の裁判規範としての効力は、同条二項の規定によつて国の責務とされている社会的立法の具体的な立法措置が同条の趣旨に反して著しく合理性を欠き、明らかに立法府に委ねられた裁量の逸脱、濫用と見ざるをえないような場合に、司法審査の対象となる余地があるという意味で、いわゆる自由権的効果を有するにとどまるものである。

したがつて、憲法二五条は生存権の内容として国民の国に対する実体法上の請求権を認めたものではないから、本件予防接種禍について、同条の規定に基づき何らかの実体法上の請求権が発生する余地はない。」

13  同四九ページ九、一〇行目及び同五一ページ四行目の各「及び5」を削り、同五一ページ三行目の「ないし損失補償の」を削る。

14  同五五ページ五行目の「現在までに」から同一〇行目までを「昭和六〇年一二月三一日までに別表(二)のとおり合計金七八三万八七〇〇円の給付を行つた。」と改め、同一一行目の「そして、」から同五六ページ二行目の「なつている。」までを削り、同三行目の「予防接種法」から同六行目までを「別表(三)のとおり、昭和六一年一月以降生涯にわたり月額金二〇万三八〇〇円の割合による障害年金及び死亡一時金八五万円(以下これらを合わせて「給付額」という。)が支給されることになつている。」と改め、同七行目及び一一行目の各「各年金額」、同九行目の「年金額」、同一三行目の「各年金」をいずれも「給付額」と改め、同九行目の「原告ら」を「被控訴人段」と、同一三行目の「原告達」から同五七ページ七行目までを「被控訴人段に支給される給付額の現価は、別表(三)のとおり合計金六五二六万二〇〇〇円となる。」とそれぞれ改める。

15  同五七ページ七行目の次に、改行して以下のとおり加える。

「4 民訴法一九八条二項の規定に基づく申立てについて

(一)  被控訴人らは、昭和五七年一〇月二六日仮執行宣言付きの原判決主文第一項に基づき、札幌中央郵便局において、控訴人国の有する現金一八四五万五七五九円を差し押え、同日その取立てを了した。被控訴人らの右仮執行額の内訳は別表(一)のとおりである。

(二)  よつて、控訴人国は、民訴法一九八条二項の規定に基づき被控訴人らに対し、別表(一)の各被控訴人欄中の合計欄記載の各金員及びこれに対する仮執行の日の翌日である昭和五七年一〇月二七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による損害金の支払を求める。」

16  同五八ページ八行目の次に、改行して「4 同4(一)の事実は認める。」を加える。

理由

一認定に供した書証の成立関係、本件の経緯及び本件種痘と被控訴人段の後遺障害との因果関係については、次のとおり付加、訂正、削除するほかは、原判決の理由一ないし三(六三ページ二行目から八三ページ七行目まで)の記載と同一であるから、これを引用する。

1原判決六四ページ五行目の「第六五号証」の次に「第九〇号証、第九五、九六号証」を、同行の「同高橋武」の次に「、同中尾亨」をそれぞれ加え、同六五ページ五行目、同七行目(二か所)、同一三行目の各「セ氏」を「摂氏」と、同六六ページ二行目の「著名」を「著明」と、同一〇行目の「ガンマークグロブリン」を「ガンマーグロブリン」とそれぞれ改める。

2同六七ページ七行目の「一応否定された。」の次に「右検査結果によれば、ポリオ3型の抗体価が三二倍の数値であつたことが認められ、証人中尾亨の証言中には、右数値は3型のポリオに似た感染を受けたとの証明になるとの供述部分があるけれども、他方、同証人は、右のような数値は、母親からもらつた抗体がこの時期まで続いていたということも考えられる旨述べており、飯塚医師は、右数値につきポリオウイルスの感染は考えられない旨記述していること(乙第八号証の二)、北海道大学山下助教授による前記検査結果に対する一応の見解も、ポリオの感染は考えられないというものであつたこと(甲第一四号証)からすれば、ポリオウイルスによる感染は一応否定されたと解するのが相当であり、被控訴人段の下半身麻痺の障害が後記認定のとおりけい性麻痺であること(原判決六九、七〇ページ)に照らしても、右障害がポリオによるとも考えられるとの控訴人らの主張は採用し難い。なお、控訴人ら提出の証拠その他本件全証拠によるも、被控訴人らが北海道又は小樽市から正規に二回目の血清学的検査を要請されたこと及びこれを拒んだことを認めるに足りないから、被控訴人らが立証妨害をしたので同人らに不利に判断すべきであるとの控訴人らの主張は理由がない。」を加える。

3同六七ページ一一行目の「背髄炎型」を「脊髄炎型」と改め、同六八ページ二行目の「入院加療を受け、」の次に「種痘後脊髄炎と診断された。」を加える。

4同六九ページ六行目の「二四日まで」の次に「、」を加え、同行の「四日」を「二四日」と、同六、七行目の「昭和五四年八月から現在までに」を「その後も相当な期間を経過するごとに」とそれぞれ改め、同一二行目の「(約一二歳五か月)」の次に「及び昭和五九年四月一四日当時(約一六歳六か月)」を加える。

5同七〇ページ九行目の「状態であり、」の次に「昭和五六年四月二七日及び昭和五九年四月一四日当時は、「日常生活上の言語疎通性はあるが、能力を超える質問に対しては破局反応を示す。基本的生活習慣は自立しているが、日常生活ではあらゆる面で支障があり、WISC式知能検査による知能指数は六一であり、精神年齢は推定五、六歳である。」という状態であり、」を、同行の「同様である。」の次に「被控訴人段の知能指数は、右昭和五五年三月一〇日当時は約二五であり、昭和五六年四月二七日当時は六一という数値であるが、約一年で知能指数が右のように動くことは本質的にはなく、昭和五三年四月一八日当時約四〇という数値も見られるところからすれば、検査の方法により右のような数値の変動が出てきたものと考えられる。」をそれぞれ加える。

6同七一ページ九行目の「甲第三一、三二号証」を「甲第七号証、第三二号証(第一二九号証)」と改め、同一二行目の「同北村敬」の次に「、同中尾亨」を加え、同七二ページ七行目の「けいけれ」を「けいれん」と改め、同九、一〇行目の「主症状とするもの。」の次に「ただし、けい性麻痺が入つてもよい。」を、同一一行目の「有力で」の次に「あるが、ネルソンは右(1)ないし(3)及び脳脊髄炎型の四種に分類しており、」を同一二行目の「ほとんどない」の次に「が、これらの諸型が合併することもありうる」をそれぞれ加え、同一三行目の「まれには」を削り、同七三ページ一行目の「症状を呈する」の次に「こともあり、年齢の小さな者には脊髄炎の症状を起こすことが多いことが知られている」を加える。

7同七四ページ一二行目の「状況である」の次に「。」を加え、同行の「が、いずれの」から同七五ページ二行目までを削り、同八行目の「神経合併症」を「神経系合併症」と改め、同七六ページ三、四行目の「可能性があると判断していること」及び同七七ページ五行目の「可能性があつたというのであり」をいずれも「可能性があり、ただ表面に現われてくる形が脊髄炎型であつたと判断していること」と改め、同七行目の「を認めていること」を「認めており、これは証人海老沢功の証言によれば、脳に病変があつたことを示していると認められること、また、同証人は、脳と脊髄とは連続している組織であり、症状が脊髄で停止してそこから上に進行しないということは考えにくく、脳の病変が表面に出てこないような状態で徐々に進行した可能性があること、被控訴人段のような場合は、二、三年というような長い経過を追つた中で診断をすべきであり、脳脊髄炎と考えるべきであると述べていること」と改め、同八〇ページ九行目の「原告段の」の次に「昭和五四年二月一〇日」を加える。

8同八一ページ一行目の「順調であつた。」の次に「甲第七号証によれば、被控訴人段は、骨盤位牽出による分娩であり、分娩所要時間八時間であつたことが認められるが、同証及び甲第五四号証、被控訴人静子本人尋問の結果(第一、二回)によれば、被控訴人段は、出生後本件種痘時まで知能の発達が遅れていた様子は見受けられないので、控訴人らの被控訴人段の知能障害は骨盤位牽出及び前記分娩所要時間が原因であるとの主張は採用できない。」を加える。

9同八二ページ二行目の次に、改行して以下のとおり加える。

「被控訴人段が前認定のとおり療育センターに度々入院して、その時々の発達段階に応じた治療、訓練を受けていること(原判決六九ページ)からすれば、被控訴人段の生活環境が閉鎖的となつたことが同人の知能障害の原因であると考えられるとの控訴人らの主張は採用し難い。」

二  控訴人国の責任(その一)について

1請求の原因3(一)の事実は当事者間に争いがない。

2そこで、被控訴人ら主張の小川の過失と被控訴人段の後遺障害との因果関係の存否について検討する。

(一) 前認定の本件の経緯(原判決六三ページ末行から七一ページ五行目まで及び前記一1ないし5において付加、訂正した部分)に、<証拠>を総合すれば、本件種痘に至るまでの被控訴人段の健康状態は次のとおりであつたことが認められ、甲第五四号証のうちこの認定に反する部分は、前掲各証拠に照らしてたやすく措信し難く、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) 被控訴人段は、在胎期間中及び分娩時を通じて格別の異常はなく、生後の発育は順調であり、昭和四三年二月一九日感冒で田宮医師の診療を受けたことがあつた。同年四月三日発熱したため田宮医師の往診を受けたところ、体温が摂氏三八度八分あり、咽頭が発赤しており、感冒と診断され、その治療のためスルピリン(解熱薬)及びサイアジン(サルファ剤)の注射を受け、二日分の投薬〔サイアジン、スルピリン、アリメジン(抗ヒスタミン剤)〕を受けた。翌四月四日田宮医師の診療を受けた際は体温は三八度五分であり、咳が僅かあり、スルピリンほかの注射を受けた。翌四月五日田宮医師の診療を受けた際は体温は三七度三分であり、気嫌は良く、スルピリンの注射を受け、三日分の投薬(薬剤は前同様)を受けた。被控訴人静子は、その際田宮医師に対し、四月八日(月曜日)に被控訴人段に予防接種を受けてよいかを質問したところ、熱がなかつたらよいとの回答を得た。被控訴人静子は、四月六日及び七日に被控訴人段の検温をしたが、体温は摂氏三七度以下であつた。田宮医師から投与を受けた薬剤は四月七日ころまで服用させた。四月八日(本件種痘当日)の朝も被控訴人段は熱はなかつた。

(2) 右認定事実に証人中尾亨の証言を総合すれば、被控訴人段の四月三日からの症状は、医学的には咽頭炎であり、四月五日には気嫌が良かつたこと、同月六日及び七日には体温は三七度以下に下がつていたことからすれば、被控訴人段は遅くとも四月六日には治癒したものと認められる。なお、証人中尾亨の証言によれば、前記投与を受けた薬剤のうち、解熱薬であるスルピリンの効果の持続時間は数時間であり、四月七日に服用しても翌日までその効果が持続することはなく、四月八日には右薬剤の効果でなく熱はなかつたものと認められる。

(二)  ところで、予防接種法一五条は「この法律で定めるものの外、予防接種の実施方法に関して必要な事項は、省令でこれを定める。」と規定し、実施規則四条は

「接種前には、被接種者について、体温測定、問診、視診、聴打診等の方法によつて、健康状態を調べ、当該被接種者が次のいずれかに該当すると認められる場合には、その者に対して予防接種を行つてはならない。ただし、被接種者が当該予防接種に係る疾病に感染するおそれがあり、かつ、その予防接種により著しい障害をきたすおそれがないと認められる場合は、この限りでない。

一 有熱患者、心臓血管系、腎臓又は肝臓に疾患のある者、糖尿病患者、脚気患者その他医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者

二 病後衰弱者又は著しい栄養障害者

三  アレルギー体質の者又はけいれん性体質の者

四  妊産婦(妊娠六月までの妊婦を除く。)

五  種痘については、前各号に掲げる者のほか、まん延性の皮膚病にかかつている者で、種痘により障害をきたすおそれのあるもの又は急性灰白髄炎の予防接種を受けた後二週間を経過していない者

六  急性灰白髄炎の予防接種については、第一号から第四号までに掲げる者のほか、下痢患者又は種痘を受けた後二週間を経過していない者」

と規定し、禁忌者に該当すると認められる場合には、その者に対して予防接種を行つてはならない旨定めているので、被控訴人段が禁忌者に該当したか否かについて検討するに、前記(一)に認定したとおり、被控訴人段は本件種痘当時熱がなかつたことは明らかであるから、右四条一号の有熱患者には該当しないというべきである。

また、同号の「その他医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」について検討するに、同号が「有熱患者、心臓血管系、腎臓又は肝臓に疾患のある者、糖尿病患者、脚気患者」などを個別的、具体的に例示していることにかんがみれば、前記(一)に認定したような一時的に咽頭炎にかかり既に治癒した被控訴人段は右の場合にあたらないものであることが認められる(証人中尾亨は、同号の「その他医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」の解釈につき、免疫不全の病気にかかつている者又は二次的に免疫力が低下している者、例えば副腎皮質ホルモン、抗がん剤の使用中の者を指す旨の見解を述べているが、これも、結局被控訴人段について同一の結論を導くものといえる。)。

また、右四条二号の「病後衰弱者又は著しい栄養障害者」に該当するかどうかについてみるに、被控訴人段が前記認定のような病状でごく短期間咽頭炎にかかつた程度では、これらに該当しないことは明らかである(なお、証人中尾亨は、右四条二号の 病後衰弱者」の解釈につき、重症の病気にかかつてまだ全部回復していない者、例えばまだ起き上がることができないような者をいい、同号の「著しい栄養障害者」とは、栄養が著しく障害されて、誰が見ても容易に栄養障害者であると分る者をいう旨の見解を述べているが、この見解においても、被控訴人段の前記病状の程度では、前記四条二号に該当しないこととなる。)。

他に被控訴人段が実施規則四条各号のうちの前述以外の禁忌者に該当すると認められる証拠はない。

(三) なお、実施要領第一の九項三号は、「予診の結果、異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者に対しては、原則として、当日は予防接種を行わず、必要がある場合は精密検診を受けるよう指示すること。」と定めているが、右実施要領の定めは、接種実施者に禁忌に該当するかどうかの判定が困難な場合には無理にいずれかに判断しなくともよく、予防接種を行わないこともできる旨を明らかにしたにすぎないと解するのが相当である(仮に、右実施要領の定めが、かかる場合に、なお予防接種を行つてはならないとの義務を定めたものと解されるとすれば、右は、実施規則四条が、各号を列記し、右の「禁忌に該当すると認められる場合には接種を行つてはならない」として、特定の場合にのみ接種実施者の接種回避義務を定めているのに、右趣旨を超えて、更に接種実施者の接種回避義務を定めることとなり、結局、通達により規則の定めるところを超えてこれを改変することになるので、問題である。なお、右実施要領が一般私法上の条理を明確にしたものとまでは解されない。)が、仮に、右三号の定めが接種実施者の義務を明確にしたものと解されるとしても、前記(一)に認定した事実からすれば、被控訴人段は、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者にはあたらず、むしろ禁忌者でないことの判定ができた者であり、右実施要領第一の九項三号の場合には該当しないというべきである。

(四) 次に、被控訴人らは、予診を通じて実施規則四条所定の禁忌者に該当することを疑うに足りる相当な事由を把握した場合にも、当日は種痘を回避すべき義務があると主張するが、前記(二)のとおり、予防接種法の委任に基づく実施規則四条は、禁忌に該当すると認められる者について接種回避義務を定めているのみであつて、法及び規則に定めがないにもかかわらず、医学上当然に要請されると認められる接種回避義務であれば格別―被控訴人段の前記認定に係る病状並びに本件種痘時及びそれに至る健康状態その他の状況に徴すれば、本件においてこのような接種回避義務が存するとまでは認められない―そうでないのに、接種実施者に対し被控訴人ら主張のような禁忌者に該当することを疑うに足りる相当な事由がある場合にも接種回避義務を課することは相当でないから、被控訴人らの右主張は採用し難い。のみならず、前記(一)に認定した事実によれば、被控訴人段は禁忌者に該当することを疑うに足りる相当な事由がある場合にあたるとは認め難く、接種実施者において当日種痘を回避すべき義務であつたものではなく、むしろ、被控訴人段は種痘を行うに適応した者であつたといわざるをえない。

(五) なお、<証拠>によれば、(1)、すべての呼吸器系の急性疾患並びに慢性疾患例えば気管支炎、細気管支炎の場合は種痘をしてはならない、また、(2)、すべての発熱を伴つた気管支炎のあとでは無条件に四週間の間隔を置くことが必要であるとの見解が述べられているが、被控訴人段は前記(一)に認定したとおり、遅くとも四月六日には咽頭炎は治癒していたのであるから、右(1)の場合にはあたらないし、証人中尾亨の証言によれば、咽頭炎は上気道の疾患であること、右(2)は下気道の疾患であり、被控訴人段は右(2)の場合にあたらないことが認められるから、右甲号各証の見解は本件にあてはまらないというべきである。

(六) また、<証拠>、証人海老沢功の証言によれば、一九六三年(昭和三八年)ドイツの医学雑誌に、一〇才一〇月の男子で種痘の予定日(一一月五日)に風邪のため種痘を中止し、同月一二日に種痘を行つたところ、発赤を伴つた膿疱ができ、同月一六日から高熱を発し、種痘後髄膜脳炎と診断された事例が報告されていることが認められるが、右各証拠によつても、右症例の場合の風邪の態様すなわちインフルエンザか否か、上気道炎か下気道炎か、発熱の程度及び期間、種痘を行つた当日風邪は治癒していたか否かが明らかでないので、被控訴人段の場合との類似性につき詳細に対比することが困難であり、このような明確を欠く一症例が外国文献において報告されていたことから、本件のような場合に、直ちに実施規則四条の禁忌者に該当するとして接種実施者に種痘を回避すべき義務があつたということも困難である。

3以上によれば、被控訴人段は本件種痘の当日である四月八日には種痘を行うに適応した者であつたということができ、したがつて、被控訴人段に対し種痘を行うべきでないのに誤つて実施したということはなく、種痘を行つてもよいとした小川の判定に誤りはなかつたということができる。また、予診は、種痘を行つてよいか、回避すべきかの判定(結論)に到達するために、その過程において行われるものであるから、本件において、仮に予診に不充分な点があつたとしても、前記認定のように、被控訴人段の健康状態等に照らし、結局種痘を行うことは正当であつたものであるから、右の予診の不充分な点と副反応の発生とが結びつくことはありえず、結局両者の間には因果関係がないというべきである。そうだとすれば、小川の予診における所為と被控訴人段の前認定の後遺障害との間に因果関係があることを前提とする被控訴人らの主張は、その余の点について判断するまでもなく理由がないというべきである。

三 控訴人の責任(その二(一)(二)(1))について

1被控訴人らは、厚生大臣は遅くとも本件種痘当時までには種痘の定期強制接種を廃止して、任意接種(あるいは勧奨接種)に改めるべき注意義務があつた旨主張するので判断する。

2厚生大臣が控訴人国の公衆衛生に関する行政事務の最高責任者として、控訴人国が予防接種法に基づき実施する種痘その他の予防接種事業の遂行を統括してきたものであること、我が国の痘そう患者は、昭和二五、六年ころまでは多数見られたが、それ以後は著しく減少し、昭和三一年以降は我が国に痘そうが常在しなくなつたということは当事者間に争いがない。

3<証拠>によれば、昭和二六年から昭和四一年までの種痘による死亡者は、厚生省大臣官房統計調査部編人口動態統計によれば、種痘後脳炎によるものが一一〇名、種痘後汎発性牛痘疹及びその他種痘による合併症を原因とするものが五四名合計一六四名であり、昭和四二年は、種痘後脳炎によるものが六名、その他の種痘による合併症を原因とするものが四名合計一〇名であり、昭和二六年から昭和四二年までの死亡者は、年平均約一〇名であることが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

4<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、他に右認定に反する証拠はない。

(一) 痘そうは、古くから人類に知られた伝染病であつて、過去において、世界中でかなり大きな災害を残した恐るべき病気であり、痘そうウイルスによつて起こるものであることが判明してウイルス学的に研究されるようになつたのは二〇世紀に入つてからである。痘そうは、(1)、通常型、(2)、軽症型、(3)、平坦型、(4)、出血型に分類され、通常型は、まず高熱を発し、次に激しい頭痛、筋肉痛等の症状を呈し、次に口中粘膜に発疹を生じ、それと相前後して皮膚にも発疹が出て、それが水疱になり、更に内部が化膿して膿疱になり、更に日数が経つと徐々に乾き痂皮を形成し、これが脱落しながら治癒するものである。また、死亡率が三〇パーセントから五〇パーセントに達する大痘そうウイルスによる大痘そうと、死亡率が数パーセントから一〇パーセント以下程度の小痘そうウイルスによる小痘そうに分類されている。痘そうの伝播様式としては、口から出る飛沫による飛沫感染、患者が使用した寝具、衣服等による感染が主要なものであり、口内に発疹が現われ始めたころが最も感染力が強い。

痘そうの予防対策の中心は種痘であつて、WHO(世界保健機関)が世界的に痘そうの根絶作戦を始めてから一九六八年(昭和四三年)ころに確立された予防対策としては、患者を克明に探し出して隔離し、その周囲の人に種痘をして、その患者からの感染をできるだけ出さないようにする包囲種痘(リングワクチネーション)の方法がある。

(二) 我が国では、第二次大戦前毎年痘そう患者が発生しており、明治時代には数万人の患者が発生した年があるが、大正、昭和になると数千ないし数百人と発生数が減少している。第二次大戦後は、引揚者、帰還兵士が現地で痘そうに感染し、我が国へ帰つて発病することにより一時患者が多発した。昭和二一年以降の患者数は次のとおりである。

昭和二一年 一万七九五四人(うち死亡者数三〇二九人)

同 二二年 三八六人(同八五人)

同 二三年  二九人(同 三人)

同 二四年 一二四人(同一四人)

同 二五年   五人(同 二人)

同 二六年  八六人(同一七人)

同 二七年   二人(同 〇)

同 二八年   六人(同 〇)

同 二九年   二人(同 〇)

同 三〇年   一人(同 〇)

同 四八年   一人(同 〇)

同 四九年   一人(同 〇)

(昭和三一年以降のその他の年は患者数〇)

(三) イギリスでは、一八五〇年に強制種痘を定めた法律が制定され、一八五三年から実施されたが、一九四六年(昭和二一年)国家保健法により前記法律が廃止され〔一九四八年(昭和二三年)施行〕、勧奨接種が行われるようになり、一九七一年(昭和四六年)右勧奨接種も廃止された。

しかし、一九五四年(昭和二九年)には世界の約五〇か国が、一九六〇年(昭和三五年)には約六〇か国が強制種痘の制度を採用していた。また、WHOの資料によれば、昭和三五年当時二五か国中二一か国が強制種痘の制度を採用しており、三か国が一部強制、一か国が任意接種の制度を採用している。また、WHOの調査結果によれば、種痘の義務制ないし国家勧奨を廃止した年度及び国は、一九七一年(昭和四六年)にイギリス、アメリカ、カナダ、一九七二年(昭和四七年)にアイルランド、一九七五年(昭和五〇年)にオランダなど四か国、一九七六年(昭和五一年)に西ドイツ、ベルギー、我が国など八か国、一九七七年(昭和五二年)にオーストリアなど八か国、一九七八年(昭和五三年)にアフガニスタンなど一〇か国、一九七九年(昭和五四年)にフランスなど一〇か国、一九八〇年(昭和五五年)にアンゴラなど三〇か国、一九八一年(昭和五六年)にザンビアの合計七五か国という状況である。

(四) イギリス及びアメリカでは、一九六〇年代に種痘の副作用を調査した結果、種痘による損害が痘そうの侵入によつて受ける損害を上回ることを根拠として定期種痘の廃止論が唱えられた。これらの廃止論に対しては、当時種痘存続論からの多数の批判があつた。

(五) 種痘に関する米国予防接種諮問委員会は、昭和四一年一〇月一一日付け勧告において、「現在では、広範囲な幼児に対する定期の接種と、それに引き続き再種痘を行うという現在の方法を継続することが重要である。」としている。

(六) 我が国は、前記2のとおり昭和三一年ころ痘そうの非常在国となつたが、当時インド、パキスタン、バングラディシュ、アフガニスタンにおいては痘そうが流行しており、これらの国から痘そうが侵入する危険性があつた。また、一九六〇年代まで、ヨーロッパにおいては痘そうの輸入例が度々あり、かなりの数の患者が発生していた。WHOは毎年世界保健デーにその年の重要テーマを標語として定めているが、昭和四〇年の標語は「痘そう―不断の警戒を」と決定された。昭和三八年の世界の痘そう患者は約九万二〇〇〇名、死者は約二万八〇〇〇名、昭和三九年の患者は約二万八〇〇〇名、死者は約四九〇〇名であり、また、痘そう根絶に関するWHO専門委員会の第二次報告〔一九七二年(昭和四七年)〕によれば、一九六七年(昭和四二年)には痘そう患者として一三万一四一八例が報告されたが、同年以来行われている調査によれば、報告されているのは、当時は全例の五パーセント以下であり、実際の患者数は少なくとも二五〇万人と推定されている。

このようなことから、我が国においては、種痘の副反応事故についての報告及び外国における症例の紹介は第二次大戦前からあつたものの、従来定期強制種痘の必要性について疑いが持たれておらず、イギリス、アメリカにおいて一九六〇年代に前記種痘の副反応についての報告が学術雑誌に発表されるようになつて、我が国でも関心が持たれるようになつた。

(七) 昭和四三年五月三一日厚生大臣から伝染病予防調査会に対し「今後の伝染病予防対策のあり方」について諮問がされ、昭和四五年六月一五日に中間答申がされたが、その中でも、痘そうは平常時に全国的に予防接種を実施する必要のある疾病であるとされている。昭和五一年三月二二日に右調査会の答申が出され、第二、三回目の種痘は廃止すべきであるとされ、初回種痘の実施時期、使用ワクチン等の改善案が示されたが、初回の定期強制種痘自体を廃止すべきであるとはされなかつた。

5以上の事実からすれば、本件種痘が行われた昭和四三年四月八日当時、強制種痘を廃止していたのはイギリスのみであつて、その他の世界の各国は定期強制種痘の制度を存続させていたのであり、イギリス及びアメリカでは一九六〇年代に種痘廃止論が唱えられていたが、これに対しては種痘存続論からの多数の批判があつたところであり、種痘に関する米国予防接種諮問委員会の昭和四一年一〇月の勧告も定期強制種痘を継続することが重要であるとしていた。そして、我が国においては、昭和四二年当時世界における痘そう患者の発生数が多いこと、インド、パキスタンその他の流行国からの痘そうの侵入の危険性が高いことなどから、昭和四三年四月八日当時定期強制種痘の廃止論はなく、その必要性について疑いが持たれていなかつたのである。

以上のような状況の下では、厚生大臣が遅くとも本件種痘当時(昭和四三年四月八日)までに定期強制種痘を廃止して任意接種(あるいは勧奨接種)に改めるべき義務を負つていたものと認めることはできず、この点に関する被控訴人らの主張は理由がない。

四 控訴人国の責任(その二(二)(2))について

1被控訴人らは、厚生大臣は遅くとも本件種痘当時までには初種痘の年齢を生後一年以上に引き上げるべき注意義務があつたと主張するので検討する。

2本件種痘当時(昭和四三年四月八日)、初種痘は生後二月から一二月に至る期間にすべき旨定められていたこと(予防接種法一〇条一項一号)は当事者間に争いがない。

3<証拠>に証人北村敬の証言を総合すれば、次の事実が認められ、他にこの認定を左右すべき証拠はない。

(一) イギリスでは、グリフィスが一九五九年(昭和三四年)イギリス厚生省の統計資料を利用して、一歳未満児に種痘後脳炎その他の重要な合併症の発生及び死亡者が多いとの報告をした。また、コニーベアは一九六四年(昭和三九年)右と同一の資料を使用して、統計的に一歳未満児の種痘後脳炎の発生率及び死亡率が高い旨発表した。

アメリカでは、ネフが一九六三年(昭和三八年)種痘の副作用についての全国的な調査を行い、その結果一歳未満児に種痘による合併症の頻度が高い旨報告した。また、レインは一九六八年(昭和四三年)同様の調査を行い、同様の結果を報告した。

(二) イギリスでは一九六二年(昭和三七年)に、アメリカでは一九六六年(昭和四一年)にそれぞれ一歳未満児に対しては種痘をしないことに改め、オーストリアでは一九六三年(昭和三八年)初種痘年令を生後一歳以上に、西ドイツでは一九六七年(昭和四二年)初種痘年令を生後一八月から三歳までにそれぞれ引き上げた。

(三) しかしながら、前記グリフィスの報告がなされる前は、乳幼児に対する種痘は早く実施するほど安全であり、年長になれば副作用の危険性が高いとの見解が支配的であつた。また、母親からの免疫が残つている生後間もない数か月が接種最適期の一つであるという積極的な考え方もあつた〔痘そう根絶に関するWHO専門委員会の第二次報告(昭和四七年)も母体の抗体が存在する生後数か月は、種痘には最も安全な時期の一つかも知れないとしている。〕。

(四) また、一九六〇年(昭和三五年)の第一三回WHO総会における技術討議の報告では、「グリフィスの前記報告は、これまで長期にわたつて確立されてきた資料や、レピーヌ(一九六〇年)が述べている経験例、すなわち、フランスにおいて全乳児が生後一〇か月までに強制種痘を受けているが、過去一〇年間に確認された種痘後脳炎は二、三例以上を出なかつたとの観察に比べて極めて対照的であり、したがつて、グリフィスの観察が解決されるまでは、すでに確立されている実際の方法に従つて継続することが最良であるように思われる。」とされている。

(五) 更に、WHO痘そう専門委員会は、一九六四年(昭和三九年)「多くの疫学的研究によれば、種痘を生後一年以内に行えば、合併症の発生頻度は少ないことが明らかにされてきている。種痘は生後三、四か月に行うのが便利であり、効果的であろう。この年齢では残存する母体の抗体が全身症状を少なく、しかも初期のワクチニア反応を最大に起こさせる。」旨報告している。

(六) 西ドイツのエーレングートは、一九六八年(昭和四三年)「一歳未満児の種痘による死亡率が一歳児、二歳児に比べて高いことは、年齢別死亡率によつて説明できる。種々の根拠から種痘至適年令は生後六か月未満及び二歳児と考える。種痘後の熱性けいれんの頻度を考慮すると、一歳児の接種はすすめられない。」としており、更に、一九六九年(昭和四四年)「種痘後脳症の発生頻度は生後六ないし二四か月、特に一八ないし二四か月に高く、その後遺症を残す点からも一二ないし二四か月が高い。」旨の報告をしている。

(七) ベネンソンは、一九七三年(昭和四八年)母親が種痘を受け、かつ再種痘を受けている場合は、生後三ないし六か月の幼児に接種することに賛成すると述べている。

(八) 前記コニーベアの調査結果に対しては、一歳未満と一歳以上とで統計学上の有意差があるといいうるかは疑問であるとの見解があり、前記レインの調査結果に対しては、一歳未満と一ないし四歳とで統計学上の有意差はないとの見解がある。

(九) アメリカでは、一九六六年(昭和四一年)の初種痘を生後一歳以後まで延期することに改めたことに対して、一九六七年一〇月(昭和四二年一〇月)の全米小児科学会の会議その他において、多くの医師が不賛成であつた。

(一〇) 我が国においては、昭和四〇年篠崎立彦ほか一名によつて、前記グリフィスの報告及びイギリスの制度が紹介されたが、「種痘後脳炎等の重篤な副作用を除いて、普通に見られる局所、全身反応の点からは、五か月以内に初回種痘をすませた方が、より副作用を軽減しうるようである。」と述べるに止まつている。

(一一) 木村三生夫ほか一名は、昭和四二年イギリス、アメリカにおける初種痘年齢の引上げの経過及びその理由を紹介し、我が国では調査及び統計的観察はないが、年長児種痘後脳炎の予後が乳幼児のそれに比べて比較的良好であることも合わせて考慮すると、我が国でも初種痘年齢の引上げを慎重に検討しなければならないとの見解を示した。

(一二) 種痘調査委員会(代表者染谷四郎)は、昭和四四年から昭和四五年の間に、予備調査として、東京都及び川崎市における種痘後の副反応の調査を行つたが、合併症の総頻度、中枢神経系合併症、皮膚合併症の発生頻度ともに一歳未満が一歳台に比べて高率であるという傾向は認められず、一歳台が一歳未満及び二歳以上に比べて高率であつた旨報告している。もつとも、右調査は、調査例数、合併症の発生例数ともに極めて少なく、統計学的に意味付けることは困難であり、イギリス、アメリカでの前記調査結果と比較することにはかなりの無理があるとされている。

4以上の事実によれば、昭和三三年までは、最も副反応の低い年齢は生後一年までであるとの見解が支配的であり、昭和三四年から昭和四三年にかけて、イギリス及びアメリカにおいて、グリフィス、コニーベア、ネフ、レインによつて一歳未満児に種痘後脳炎その他の重篤な合伴症の発生率が高いとの報告がなされ、イギリス(昭和三七年)、オーストリア(昭和三八年)、アメリカ(昭和四一年)、西ドイツ(昭和四二年)において初種痘年齢の引上げが行われたが、本件種痘当時(昭和四三年四月八日)世界の他の諸国においては一歳未満児に対して初種痘が実施されていたのである。また、WHOの総会(昭和三五年)における技術討議の報告において、グリフィスの報告に対する疑問が提出され、WHO痘そう専門委員会(昭和三九年)は、種痘を生後一年以内に行えば合併症の発生頻度は少なく、生後三、四か月に実施するのが便利かつ効果的であると報告しており、エーレングートは昭和四三年種痘至適年齢は生後六か月未満及び二歳児と考えるとの見解を述べており、他方、前記コニーベアの調査結果に対しては、統計学上有意差があるといいうるか疑問であり、レインの調査結果に対しては有意差がないとの見解もあり、アメリカでは前記昭和四一年の初種痘年齢の引上げに対し昭和四二年多くの医師が反対していた。そして、我が国においては、本件種痘当時までに、昭和四二年木村三生夫ほか一名が初種痘年齢の引上げを慎重に検討しなければならないとの見解を示したほかは、初種痘年齢の引上げ論はなく、副反応についての年齢別の調査結果もなかつたという状況である。

以上の状況の下では、厚生大臣において遅くとも本件種痘当時(昭和四三年四月八日)までに初種痘年齢を生後一年以上に引き上げるべき注意義務があつたとは認め難いから、被控訴人らのこの点の主張は理由がない。

五  控訴人国の責任(その二(二)(3))について

1被控訴人らは、厚生大臣は遅くとも本件種痘当時までに痘苗製造株を大連株からリスター株に切り替えるべき注意義務があつたと主張するので検討する。

2本件種痘当時、我が国で使用していた痘苗製造株が池田株又は大連株であり、被控訴人段が接種を受けた痘苗が大連株によつて製造されたものであることは当事者間に争いがない。

3大連株とリスター株との間に、ヒトの中枢神経系に対する副反応の発生頻度及びその程度に差異があると認められないこと、動物実験の結果についてのマレニコバの報告は直ちにヒトの中枢神経系に対する副反応の頻度、強弱と結びつくものではないこと、WHO生物学的製剤標準化専門家委員会がリスター株から製造された特定のロットの痘苗を国際参照品に指定したことが直ちにリスター株の安全性に結びつくものではないことは、原審が原審被告東芝化学の責任について判示したところ(原判決一二一ページ八行目から一二九ページ四行目まで)と同一であるから、これを引用する(ただし、一二二ページ九行目の「後記(4)のとおり、大連株と池田株のみであつた。)」を「甲第八五号証、乙第三七号証及び弁論の全趣旨によれば、大連株と池田株のみであつたことが認められる。)」と改める。)。

4以上によれば、厚生大臣が、遅くとも本件種痘当時までに痘苗製造株を大連株からリスター株に切り替えるべき注意義務を負つていたとは認め難いから、被控訴人らのこの点の主張は理由がないというべきである。

六そうだとすれば、被控訴人らの控訴人国に対する国家賠償法一条一項の規定に基づく請求は、その余の点について判断するまでもなく失当である。

七  被控訴人らの予備的、追加的請求の併合について

1被控訴人らは、当審において控訴人国に対し、従前の国家賠償法一条一項の規定に基づく損害賠償請求に、憲法二九条三項及び同法二五条一項の各規定に基づく各損失補償請求を予備的、追加的に併合申立てをし、控訴人国は右申立ては不適法であると主張するので、まず、その適否について判断する。

2損失補償請求権は、本来適法な公権力の行使により特定人に通常受忍すべき限度を超える財産上の犠牲を生ぜしめる場合に、その犠牲の公共性に照らし社会構成員全員がその犠牲を平等に負担すべきであるとの理念に基づき認められるものであつて、公法的性質を有し、公権力の主体との間においてのみ問題となる特殊な規律に係るものであり、損失補償の要件が法律で具体的に規定されている場合はもちろん、本件のような身体に係る被害の補償について、憲法二九条三項又は同法二五条一項の各規定を直接の根拠とし、あるいはこれらの類推適用を主張する場合であつても、その根拠たる法規が私法に属するということはできないから、損失補償請求権は公法上の請求権であり、右憲法の各規定を根拠とする損失補償請求訴訟は、行訴法四条後段にいういわゆる実質的当事者訴訟にあたると解するのが相当である。

3ところで、行訴法四一条二項は、同法一三条、一六条、一九条を当事者訴訟に準用しており、本件の、いずれも種痘の実施という同一の公権力の行使に起因するとして構成された国家賠償請求と損失補償請求とは、行訴法一三条一号又は六号の準用により、関連請求にあたると解するのが相当である。

4被控訴人らは、行訴法一六条一項の規定の準用により、本件予備的、追加的併合が許される旨主張するが、同条項は、当初から取消訴訟に関連請求に係る訴えを併合して提起する場合又は両訴訟が別個に係属するときに取消訴訟に関連請求に係る訴えを併合する場合について定めたものであるから、追加的併合の許否が問題となる本件においては、同条項の規定は準用されるものではなく、むしろ、同法一九条一項の規定の類推適用の可否について検討すべきである。

行訴法一九条一項は、取消訴訟に関連請求に係る訴えを追加的に併合して提起することができる旨を定めているが、その逆の場合にも追加的併合が許されるかどうかについて直接定めた規定はない。行訴法は、行政訴訟の特殊性にかんがみ、行政庁の訴訟参加(二三条)、職権証拠調べ(二四条)、取消判決の拘束力(三三条一項)等の特則を定め、かつ、行政訴訟を中心として関連請求の移送、併合等の規定を設けていて、基本となる請求とその関連請求との間には主従の区別をしており、関連請求が民事訴訟の場合は、これを主とし行政訴訟を従とすることは、行政訴訟手続を中心として規定する行訴法の予想するところのものではないというべきである。更に、一般的に民事訴訟に行政訴訟を併合することを認めると、その審理手続がどのようになるのかとの問題があり、主たる民事訴訟の手続で審理がされることになると解するときは、そのような結果は行訴法の趣旨を没却することになり、妥当でないと考えられる。本来行訴法の予定する形態での追加的併合の場合は、行訴法の手続のみで審理がなされるべきであり、請求の併合の場合に手続の混在を認め、又は民事訴訟の手続で審理がなされるとすることは問題である。

以上のように考えると、行訴法一九条一項の規定の類推適用を根拠として民事訴訟である本件国家賠償請求に当事者訴訟である本件各損失補償請求を追加的に併合することは許されないというべきである。

5また、本件の予備的、追加的併合の申立てが民訴法二三二条一項の規定による訴えの追加的変更のそれであるとしても、同条項は同種の手続を前提とするものであつて、本件は異種の手続にかかる請求の追加的変更の申立てであるから、同条項によることも許されない。

6また、本件各損失補償請求は、当審において予備的、追加的に併合申立てがされたものであつて、前記のとおり右各請求は異種の手続に係るものであり、かつ第一審において審理判断を経ておらず、本件国家賠償請求とは審級を異にするものであるので、当審において民訴法一三二条の規定により弁論を併合することはできない。

7そして、被控訴人らは、本件各損失補償請求は本件国家賠償請求に予備的、追加的に併合してその審理判断を求めることを目的とするものである旨明らかにしており、これを別訴として第一審の管轄裁判所へ移送することまでも求めるものでないから、本件各損失補償請求を新たな訴えの提起と解して第一審の管轄裁判所へ移送する余地はない。

8そうだとすれば、本件各損失補償請求は不適法であり、却下を免れない。

八  控訴人小樽市の責任について

1原審被告藤田(以下「藤田」という。)及び小川が控訴人国の公権力の行使にあたる公務員として本件種痘を実施したものであることは当事者間に争いがない。

2被控訴人らは、藤田において、小川が予診を十分に行うことができるように制度的措置をとるべき義務があつたのに、右のような措置を講ずることなく、小川をして本件種痘を実施させ、被控訴人段に後遺障害を被らせた旨主張するので検討するに、藤田の「予診について制度的に講ずべき措置」の本件における位置付けを考えるに、小川の予診の当否が問題とされる場合に、その前段階に位置するというべき予診制度上の欠陥の存否が問題となるのであつて、前記二に判示したとおり、本件においては小川の予診の当否は問題とする余地がないのであるから、藤田の「予診について制度的に講ずべき措置」の当否も問題とする余地はなく、被控訴人らのこの点の主張は理由がない。

3また、被控訴人らは小川に過失責任がある旨主張するが、その理由がないことは前記二に判示したとおりである。

4してみれば、被控訴人らの控訴人小樽市に対する国家賠償法三条一項の規定に基づく請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

九以上によれば、被控訴人らの控訴人国に対する国家賠償法一条一項の規定に基づく損害賠償請求(主位的請求)及び控訴人小樽市に対する同法三条一項の規定に基づく損害賠償請求はいずれも理由がなく、失当として棄却すべきであるから、被控訴人らの請求の一部を認容した部分の原判決は失当であり、控訴人らの各控訴に基づき、控訴人らの各敗訴部分を取り消し、その部分の被控訴人らの請求を棄却するとともに、被控訴人らの本件附帯控訴(当審新請求を含む。)を棄却し、被控訴人らの控訴人国に対する憲法二九条三項、同法二五条一項の各規定に基づく各損失補償請求(予備的請求)に関する訴えはいずれも不適法であるからこれを却下し、控訴人国の民訴法一九八条二項の規定に基づく申立てについての主張事実中、4の(一)は当事者間に争いがなく、右事実によれば、右申立ては理由があるからこれを認め、訴訟費用(当審新請求分を含む。)の負担につき同法九六条、九三条、八九条を、主文第四項に関する仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官奈良次郎 裁判官松原直幹 裁判官中路義彦は差し支えにつき署名捺印することができない。裁判長裁判官奈良次郎)

別表(一)

費目

氏名

被控訴人

大橋段

被控訴人

大橋達

被控訴人

大橋静子

合計額

元本

一〇四九万四三三三

四三万八〇〇〇

四三万八〇〇〇

一一三七万〇三三三

遅延

損害金

六四七万七七二七

二七万〇三五九

二七万〇三五九

七〇一万八四四五

執行

準備費用

六七五

六七五

執行

実施費用

三万〇二八六

一万八〇一〇

一万八〇一〇

六万六三〇六

合計

一七〇〇万三〇二一

七二万六三六九

七二万六三六九

一八四五万五七五九

別表(二)

予防接種健康被害に係る給付額一覧表

被接種者氏名

支出年度

旧制度

新制度

地方自治体単独給付分

特別児童

扶養手当

福祉

手当

障害福祉年金

合計

医療費

後遺症

一時金

後遺症

特別

給付金

弔慰金

再弔慰金

医療費

医療手当

障害児

養育年金

障害

年金

死亡一時金

葬祭料

大橋段

51

2,700,000

224,000

2,924,000

52

265,000

265,000

53

337,750

214,000

53,250

605,000

54

388,250

173,600

43,750

605,600

55

455,000

455,000

56

500,200

500,200

57

526,400

526,400

58

542,400

542,400

59

597,000

597,000

60

469,500

348,600

818,100

合計

2,700,000

224,000

4,081,500

348,600

387,600

97,000

7,838,700

別表(三)

被控訴人段に対する将来給付額について

給付区分

障害年金(1級)

死亡一時金

区分

支給

月額         平均余命

203,800円×12か月×57年=

139,399,200円

17,000,000円×0.05=

850,000円

140,249,200円

現在価額

月額       57年のホフマン

203,800円×12か月×26.5952=

65,041,221.12→65,041,221円

57年のホフマン

850,000円×0.25974=

220,779円

65,262,000円

(条 件)

1 被控訴人段の生年月日 昭和42年10月6日生まれ

2 計算の始期 昭和61年1月(給付ずみ額は昭和60年12月分までを調査)

3 計算の終期 平均余命……昭和58年簡易生命表 18歳の男子→57.15年 57年(端数切捨て)

4 支給月額 昭和61年1月現在の支給月額(障害年金1級)を基準とした。

5 死亡一時金 平均余命を生きて死亡するものとして計算した。なお、葬祭料113,000円は除外した。

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